1. はじめに

現代社会では、近視(myopia)は“国民病”ともいえるほど一般的になっており、日本では小学生の半数以上、中学生では約7割が近視というデータもあります[1]。では、スマートフォンもテレビもなかった古代の人々は、果たして近視だったのでしょうか?

この問いは、視覚の進化や環境因子、教育の影響など、さまざまな分野と関わっています。本稿では、古代人の近視の有無とその背景を、考古学的・遺伝学的・疫学的観点から紐解いていきます。

2. 近視とは何か?

まず、近視とは遠くのものがぼやけて見え、近くのものは比較的よく見える屈折異常です。眼球が奥行き方向に長くなる(眼軸延長)ことが主な原因であり、遺伝的要素と環境因子の両方が関与しています[2]。


3. 考古学的証拠:古代人に近視は“少なかった”

ミイラや古代の人骨を調査した報告によれば、紀元前の古代エジプト人やギリシア人に近視の証拠はほとんど見つかっていません[3]。
さらに、19世紀後半のヨーロッパでも、農村部の子どもには近視が非常に稀だったという記録が残っています[4]。

これはつまり、「ヒトがもともと近視になりやすい構造を持っていたわけではない」ことを示唆しており、近視は比較的新しい“生活習慣病”のような性質を持つことが分かります。


4. 文献から見る近視の歴史

近視という言葉(μυωπία)は、実は古代ギリシア時代から存在していたとされます。アリストテレス(前4世紀)は、「目を細めて見る者(μύωψ)」を記述しており、明らかに近視の人々がいたことを示しています[5]。

ただし、この頃の近視は非常に稀であり、高頻度で見られるようになったのは近代以降です。教育の普及、都市化、屋内作業の増加が、その背景にあると考えられています。

5. 遺伝と環境:どちらが影響したのか?

近視には遺伝的な要因があることが広く知られています。両親が近視である場合、子どもも近視になる確率は高くなります[6]。
しかし、古代人も私たちと同じような遺伝子構成を持っていたにもかかわらず、近視の割合が少なかったのはなぜでしょうか?

答えは「環境因子」にあります。

  • 古代人は屋外活動が多く、遠くを見る機会が多かった
  • 夜間照明がなく、眼精疲労が少なかった
  • 読書や細かい作業といった近業負荷が少なかった

これらの環境が、遺伝的素因があっても近視を発症させない方向に働いていたと考えられています[7]。

6. 狩猟採集民と近視:現代でも確認される傾向

現代でも、アマゾンの狩猟採集民やアフリカの遊牧民には、ほとんど近視の人がいないという調査結果があります[8]。
一方で、同じ民族でも都市部で学校教育を受けている子どもは、近視率が急上昇しているという報告もあり、環境の影響が極めて大きいことが分かります。

7.古代人の“視力”は良かったのか?

視力検査が存在しなかった時代、古代人の視力を客観的に評価するのは困難ですが、多くの文化人類学者は狩猟や戦闘、航海などにおいて、古代人は非常に高い空間視力(細部識別能力)を持っていたと考えています[9]。
これは「目が良い=視力1.5以上」ではなく、動く物体を捉える力(動体視力)や、空間の奥行き感を感じ取る力なども含まれていました。


8. おわりに:近視は“現代文明の副作用”?

古代人にも近視は“わずかに”存在していたと考えられますが、その頻度は現代と比べものにならないほど低かったことが、複数の証拠から示唆されています。
遺伝だけでは説明できないこの現象は、私たちが「進化のスピードより速く生活が変化してしまった」ことの表れかもしれません。

子どもの近視が急増する現代において、屋外活動の促進や近業の見直しといった環境調整は、先人の生活様式から学ぶべきヒントとなるでしょう。

参考文献

  1. 文部科学省. 学校保健統計調査(令和5年度)
  2. Wallman J, Winawer J. “Homeostasis of eye growth and the question of myopia.” Neuron. 2004;43(4):447–468.
  3. Gardner RM. “Visual problems in ancient populations: an anthropological approach.” Am J Phys Anthropol. 1989;78(1):45–56.
  4. Hirsch MJ. “The relationship between refractive state and intelligence.” Am J Optom Arch Am Acad Optom. 1959;36(1):12–20.
  5. Aristotle. Problemata Physica. trans. Forster E. Harvard Univ Press.
  6. Saw SM, et al. “Myopia and associated pathological complications.” Ophthalmic Physiol Opt. 2005;25(5):381–391.
  7. Rose KA, et al. “Outdoor activity reduces the prevalence of myopia in children.” Ophthalmology. 2008;115(8):1279–1285.
  8. Morgan IG, et al. “The epidemic of myopia: what can be done?” Lancet. 2012;379(9827):1739–1748.
  9. Cronin TW, et al. Visual Ecology. Princeton University Press, 2014.